連休中、東京都知事による他のオリンピック候補地に関する不適切なコメントがニューヨーク・タイムズによって報道された。
知事は、「最後の雑談のところだけがクローズアップされてしまったのは残念だ」とおっしゃっている。
そもそも、対外的なコミュニケーションには、本番も雑談もない。オフレコもない。発言の全てが報道の対象となる。
雑談の方にニュース価値があれば、おのずとそちらが注目される。
コメントそのものもさることながら、気にかかるのは、その後の知事の記者会見における対応である。
- 東京都知事定例記者会見2013年5月2日テキスト全文
- 東京都知事記者会見ページからは動画もみられます
知事の事後対応は、不祥事のダメージをコントロールする際のよいケーススタディであると言える。
詳細は省くが、コミュニケーションアドバイザーとして、
特に「危機管理広報」の視点からいくつか教訓をシェアしたい。
不祥事発生後の最重要課題のひとつは、メディアによるネガティブな報道を最小限に食い止めることである。そして、その中心となるのが、「的確な謝罪」である。
1.罪の認識がなければ謝罪にならない
謝罪の大前提は、自分の犯した罪の重さの的確な認識にある。
過ちとコトの重大さの認識が伝わらないと許してもらえないのである。
質問されてから答えるのでは遅すぎる。ましてや問われているにもかかわらず、答えず逃げるのは論外だ。謝罪が成立しないだけでなく、強い反感をもたれてしまう。
2.相手の見えない謝罪も謝罪にならない
罪の認識は、誰が被害者なのかの認識を含んでいる。誰にどのような被害を与えたのかを自ら語らないと謝罪にならない。そしてそれは、真の被害者でなければならない。特に、間違った方向に謝罪すると許してもらえない。
3.謝罪に言い訳や反論を混ぜてはならない
謝罪はあくまでも謝罪である。そうしたくても、言い訳や反論を混ぜてはならない。そうしてしまうと、反省していないように見えてしまう。反省が伝わらなければ、許してもらえない。反論を含めると、謝罪が謝罪にならない。
4.不祥事をみずから無理矢理収束させようとするのは逆効果
メディアが追求を止めるのは、その必要がなくなった時だ。加害者が、もう終わった話だと不祥事の終了を宣言しても無意味。無意味どころか、逆効果。加害者側がコメントを拒めば拒むほど、メディアによる追求は続く。
5.記者会見で高圧的になってはならない
記者の質問に彼らの満足の行くまで真摯に対応するのが謝罪の鉄則。内輪の世界であれば、トップが高圧的になれば周りは引くかもしれないが、対外的なコミュニケーションは全く違う。とりわけ、ふてぶてしさは、禁物だ。強弁、強引、高圧的になれば、リーダーとしての資質を問われる。そして尊敬も失うことになる。
気をつけていても、失言はあり得る。
リーダーに求められるのは、自分の失言の重さを反省し、悔い改めるのみならず、これを的確に外部に伝えるスキルだ。
by 高杉尚孝(たかすぎひさたか)
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