3.11(東日本大震災)から二年が経った。
危機管理広報アドバイザーとしての経験から、私は事故、事件、不祥事などに対する危機管理において、「適切な哲学」と「不適切な哲学」があるという結論を持つに至った。
福島原発事故は、危機管理における不適切な哲学を如実に表しているように思えてならない。
(本日の内容の動画を最後に掲載しています)
不適切な哲学とは?
危機管理を考える上で、不適切な哲学とは、
「事故は絶対に起きて(起こしては)はならない、なぜならそれは絶対にあってはならない最悪の悲劇だからだ。」
である。
福島に限らず、原発事故に関してはこのような哲学が主流ではなかったのではないか。
一見、勇ましく、またもっともな哲学のように思える。しかし、これは、とても危険な考え方である。
なぜなら、こう考えると、第一に、事故の発生を想定しづらくなる。「絶対にあってはならない最悪の悲劇」を想像するのは心情的に難しい。そもそも、「絶対にあってはならないのだから起こりえない」という非現実的な方向に考えてしまいがちでもある。
とりわけ、日本文化には「言霊」信仰もあるため、「絶対にあってはならない最悪の悲劇」を口にすること自体が憚(はばか)られる。
そうなると、当然、予防策を考えづらくなる。なぜなら、予防策は「絶対にあってはならない最悪の悲劇」を想定した上で、その発生確率を下げる策だからだ。
残念なことに、予防策を考えないということは、不作為の罠をもたらす。結果、事故の発生確率を上げることになる。
更には、発生時の対応策を考えづらくなる。こちらは、予防策以上に、「絶対にあってはならない最悪の悲劇」を、現実として想定せざるを得ないからだ。とりわけ、避難訓練などはもってのほかであろう。ここでも、やはり、そんな事態は絶対にありえないと考えたくなってしまう。
発生時対策の訓練をしていなければ、発生時のダメージが増大する。
また、事故の兆候があったとしても、発表せずに、もみ消すほうに向かう。最悪の悲劇は「絶対にあってはならない」からだ…
適切な哲学とは?
では、適切な哲学とはどのような内容なのか。
「事故は出来る限り起きてほしく(起こしたく)ない。なぜなら、それは膨大なダメージをもたらすからだ。」
というものだ。
これは、現実的、合理的な考え方だ。
なぜなら、まずそこには、どんなに起きてほしくない事故も起こりえるという現実的な発想がある。
残念なことに、どんなに起きてほしくなくても、そして、努力しても事故は起こりうるという現実を受入れている。
また、事故を、膨大なダメージをもたらす事象として直視しながら、冷静に受け止めてもいる。「絶対にあってはならない最悪の悲劇」などと恐怖心をあおるものではない。
どんなに願い下げでも、とても重大な事故が起こりえるのであれば、積極的に予防策を考えやすくなる。従って、発生確率を下げることができる。
また、自ずと、発生時の対応策も考えやすくなるし、発生を想定した訓練も実施しやすくなる。結果、仮に起きてもダメージを削減できる。事故の兆候が現れた際にも、隠蔽することなく早急に対応できるのである。
このように、「事故は出来る限り起きてほしく(起こしたく)ない。なぜなら、それは膨大なダメージをもたらすからだ。」は、現実的であることに加え、予防や発生時対応につながりやすい合理的な哲学なのだ。
残念なことに、世の中には原発事故関連以外でも、よかれと思って、不適切な哲学を提唱しているケースがまだ多いように思える…
by 高杉尚孝(たかすぎひさたか)
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本日の内容の動画
危機管理の哲学(5:37)
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