2014年3月29日さいたま市で行われたフィギュアスケートの世界選手権女子シングルフリーの演技で、浅田真央選手が3回目の優勝を果たした。日本選手で最多だ。
そのわずか1ヶ月前、2014年3月19日ソチ冬季オリンピックフィギュアスケート女子ショートプログラム(SP)で、彼女は、持ち前のトリプルアクセルを始め、3つのジャンプすべてに失敗した。16位とメダル獲得は絶望的となった。
「滑り出しからちょっと違うけど、行かなきゃって。自分の体と考えと気持ちが違って、体がついて来なかった」、「自分でも終わってみてまだ何も分からない」
演技の後の彼女は見るからに放心状態だった。
「調子が悪かったわけじゃない。順調に、やるだけのことはやってきた。本人に何があったのかは分からない。これが五輪といえば五輪」
佐藤信夫コーチは、こうコメントした。
浅田選手を応援していた誰しもが、「これがオリンピックの重圧というものか」とその恐ろしさを実感したのではないだろうか。
次の日フリーの演技をみなが見守った。
12番目に登場した浅田選手は、一転、自己ベストを更新する142.71点をマーク。冒頭のトリプルアクセルを含む全6種類の3回転ジャンプすべてを成功させた。合計198.22点。6位につけた。
「今日、こうしてバンクーバーから4年掛けてやってきたことが出せた。支えてくれた方々に最高の演技ができて嬉しかった」
と本人も語った。
19日と1日後の20日、浅田選手にとってオリンピックという重圧状況は、客観的には何一つ変わっていない中、これまでで最悪のパーフォーマンスから、最高のパーフォーマンスへの大転換を彼女は見せてくれた。
この驚異的なレジリエンス(回復力)をどう理解すればよのだろうか。
そのヒントは、フリー直後の浅田選手の次のコメントに潜んでいる。
「今日の朝の練習もよくなかったので、自分のことに集中して、自分がやりたい演技をしようと思った。いろいろあったが、これまでもひとつひとつクリアしてきた。昨日の演技はとても残念で悔しくて、取り返しのつかないことをしてしまった。」(デイリースポーツ14.2.21)
「自分のことに集中して」
まず、浅田選手は、「自分のことに集中して」とインタビューで語っている。ということは、SP前の19日の段階では、自分ではなく、周りの期待に意識を集中してしまっていたのだろう。
「周りの期待に応えねばならない」、「メダルをとらねばならない」と。。。
周囲の期待に応えたいし、応えられるに越したことはない。しかし、そうできる保証はない。期待通りの結果を保証する事は不可能だ。それは誰にもできない。
20日は違った。浅田選手は、不可能を保証することをやめた。不可能なことにエネルギーを注力するのはとても非効率だ。同時にそれは、大きな重圧を生み出す。
「自分がやりたい演技をしよう」
その上で、彼女は自分への目標を、「自分のやりたい演技をしよう」という「願望」に転換できたようだ。
ということは、それまでの彼女は、「メダルを獲得するためにやらねばならない演技をするのだ」という要求を自分に課していたのだろう。
先の、「周りの期待に応えねばならない」と同様に、「メダルを獲得するためにやらねばならない演技をする」のだと自分に要求してみても、そう出来る保証はない。出来ないことを要求すると演技に狂いが生じる。
それよりも、自分のコントロールしやすい側面に注力するのが得策だ。その方が、効率のよいエネルギーの使い方だ。伸び伸びと本来の力を出しやすい。
「これまでもひとつひとつクリアしてきた」
さらに、良かったのは、彼女が「絶対にもうダメだ」と、絶望悲観思考に陥らなかった点だ。
「これまでもひとつひとつクリアしてきた」、従って「今回もクリアできる可能性は高い」と考えるのは、とても合理的だ。過去の実績からみて実証的である。根拠のない一方的なポジティブ思考ではなく、データに裏付けられた分析で自分を勇気づけるのは良い。
「昨日の演技はとても残念で悔しく」
次に、浅田選手は、「残念で悔しい」と自分の感情をしっかりと表現している。 感情は自覚することで緩和される。さらに、表現されることにより、周りに共感される。これがさらなる癒しにつながる。
他方、意識されなかったり、抑圧されたりする感情は鬱積する。抑圧されれば、表現もされないので共感もされない。結果、くすぶり続ける。
また、彼女は、「残念」と「悔しい」という「適切な」マイナス感情を抱いている。「落込み」や「怒り」のような「不適切な」マイナス感情でないところは注目に値する。適切なマイナス感情は、レジリエンスにつながる。
「適切な」マイナス感情は、状況を改善する前向き行動につながりやすい。他方、「不適切な」マイナス感情は、状況を悪化させる後ろ向き行動につながりやすい。
(参照)【プレッシャー管理の基本1】マイナス感情の善玉と悪玉の違い
「取り返しのつかないことをしてしまった」
最後に、浅田選手は、「取り返しのつかないことをしてしまった」と、19日のSPでの失敗を真摯に受入れている。過去の結果は、文字通り「取り返しのつかない」出来事だ。いまさら変えることはできない。ならば、受入れた方が良い。
失敗を受入れずに、「大した事ではない」と、事態を軽く観ようともしていない。これには無理がある。重い事態は重いのだ。その重さをしっかりと彼女は受け止めている。
また、「絶対にあんな失敗などしてはならなかった」と自分に要求してみてもらちがあかない。「絶対にしてはならないことをしてしまった」という、矛盾を引きずることになる。結果、落込みや怒りをもたらすだけだ。
それよりも、彼女のように、制御不能な過去を受け入れながら、次のパーフォーマンスにエネルギーを注力するのが懸命だ。
このように、浅田選手は、自分の思考と感情をうまく転換することで、最高のパーフォーマンス、そして驚異のレジリエンスを見せてくれた。
今、彼女の去就が注目されている。
ソチの経験を経て、彼女は確実に強くなった。
勝手な希望を言わせてもらえば、ぜひもう少し現役を続けて欲しいと思う。
by 高杉尚孝(たかすぎひさたか)
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<参考書籍>
実践・プレッシャー管理のセオリー ~ビジネスパーソン必修 メンタル・タフネス強化のセルフ・コーチング術(高杉尚孝著)
- 職場のコミュニケーションをよくする「ストレス軽減思考法」 - 2015年6月13日
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